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稲取温泉の歴史と伊豆

伊豆の境界線はどこ?

みなさん、伊豆ってどこからどこまで?ってふと思ったことはありませんか?

静岡県は江戸時代以前は「遠江」「駿河」「伊豆」で構成されていました。

この伊豆という地域、南の方は特に疑問視することはないのですが、伊豆ってどっから?
という北部の方はどうも気になってしまいます

©美しい伊豆創造センターより

湯河原は伊豆なのか

湯河原温泉て、実は熱海市と湯河原町で成り立っています。

千歳川のあっち(湯河原)とこっち(熱海)で分かれているのですが、湯河原温泉としてはあの辺りは「湯河原」と称しています。
どうでもいい話ですが観光協会としてはどっちが出資してんだろう?と思ったり(笑)

そして伊豆国は熱海から南、沼津は合併したりしてるので厳密には沼津の一部(南部)は伊豆国だったりします。沼津は駿河国に属されていました。三島は伊豆国に属されていました。

歴史的な境界線はこんな感じになるんでしょう・・・・

伊豆半島の成り立ち

が、しかし!地理的な境界線は違います。

そもそも伊豆は遠い南からフィリピンプレートにのってどんぶらこってやってきて本州とぶつかって出来た半島です。

地層?地質で分けるとなるとまた違ったところになるんでしょうね。
伊豆の地層は海底火山時代の地層と、陸上火山時代の地層で成り立っています。
そして火山が多かったので、そのおかげで沢山の温泉があります。

感覚的には伊豆というと三島は伊豆じゃないだろう・・・という感じですし、沼津も湯河原も伊豆じゃないよ~な?特に湯河原においては静岡県でなくて神奈川ですし・・・

おそらく三島や函南、熱海あたりは天城連山や宇佐美、多賀火山、箱根火山等の複数の火山の噴火等で形成されて陸続きになったんじゃないでしょうか。
伊豆と本州を結ぶ土地であることは間違いないです。

境界線の結論

まぁ、そんなに杓子定規に考えなくてもゆるっとしてればいいんですけどね(笑)

日本語あいまい表現をするのであれば、「ほぼ伊豆」「伊豆の入口」あたりが三島、沼津、熱海・湯河原あたりかもしれません。

稲取温泉の歴史

稲取の温泉の歴史は浅く、昭和31年に湧出したそうですよ。
まだ温泉地としては70年経ってないんですね・・・びっくりです。

とはいえ、温泉の出る前から稲取町として成り立っていた町。一体何が産業だったのでしょうか。

現在も主要産物である「みかん」の栽培や天草を取ったり漁業も盛んだったようです。

確かに「こらっしぇ」で販売しているところてんはスーパーで売られているところてんと全く違って一言で言えば「硬い」です。
めちゃめちゃ濃厚なところてんなのでぜひご賞味ください。

ちなみにところてんは漢字で書くと「心太」と書きます。なぜに心太と書くのかと考えるとまた眠れなくなります・・・

てなことで、たまには変に色々と考えてとりとめのない内容になってしまいましたが。

たまにはいいか・・・と思うくらい人生にはゆとりがあったほうが生きやすいですね

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